冬木
冬木 | |
---|---|
北緯35度40分28.21秒 東経139度48分4.73秒 / 北緯35.6745028度 東経139.8013139度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 江東区 |
地域 | 深川地域 |
人口 | |
• 合計 | 3,006人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
135-0041[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 足立 |
冬木(ふゆき)は、東京都江東区の町名。丁番を持たない単独町名である。郵便番号は135-0041[2]。
地理
東京都江東区の西部に位置し、深川地域に属する。北で平野、東で木場、南で富岡、西で深川と隣接する。町域の北辺を仙台堀川、西辺を平久川と接する。また、北部と東部を都道が十字に走り、地区南辺を首都高速道路が走る。
河川
かつて存在していた河川
- 油堀川 - 元禄12年(1699年)の開削といわれ、木場堀(大島川東支川)から隅田川に注いでいた割堀。佐賀町、福住町の両岸には特に油問屋が多く、緑橋の南西には油商人会所もあり、油堀河岸・油堀と称された。 昭和49年(1974年)から埋め立てが始まり、昭和55年(1980年)首都高速9号線の開通により、「水路」から「陸路」へ生まれ変わる。かつての割堀であった高架下は、遊歩道や駐車場、駐輪場、公園などとなっている。油堀川には、和倉橋・永居橋という二つの橋が架かっていた。
歴史
この節の加筆が望まれています。 |
材木商冬木屋は、上野国(こうずけのくに、現・群馬県)から江戸に出た上田直次がおこした。三代目冬木屋弥平次は一族の上田屋重兵衛と、仙台堀川の南の地を材木置場として、幕府から買い取った。
宝永2年(1705年)町屋を建てて、深川冬木町と名付けたのが冬木の始まりである。昭和15年(1940年)に和倉・亀久・亀住・大和(やまと)・万年などの各町が合併して冬木1丁目・2丁目及び和倉2丁目となった。昭和16年(1941年)には冬木2丁目と和倉2丁目が合併して冬木町となり、昭和44年(1969年)冬木とした。
地名の由来
この地を材木置き場として江戸幕府から買い取った材木商冬木屋に由来する[4]。
世帯数と人口
2020年(令和2年)2月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
町丁 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
冬木 | 1,657世帯 | 3,006人 |
小・中学校の学区
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5][6]。
番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|
1〜18番 | 江東区立数矢小学校 | 江東区立深川第二中学校 |
その他 | 江東区立明治小学校 |
交通
鉄道
鉄道は町域内を通っていない。東京メトロ東西線門前仲町駅・木場駅、半蔵門線清澄白河駅が最寄り駅となる。
バス
道路・橋梁
施設
脚注
- ^ a b “世帯と人口(毎月1日)”. 江東区 (2020年2月1日). 2020年2月1日閲覧。
- ^ a b “郵便番号”. 日本郵便. 2019年8月30日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月20日閲覧。
- ^ 江東区の地名由来
- ^ “区立小学校の通学区域”. 江東区 (2019年4月4日). 2019年8月30日閲覧。
- ^ “区立中学校の通学区域”. 江東区 (2019年4月4日). 2019年8月30日閲覧。