田尻城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Okapia2 (会話 | 投稿記録) による 2010年8月21日 (土) 04:47個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (福岡県みやま市に存在した山城)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
ナビゲーションに移動 検索に移動
logo
logo
田尻城
福岡県
別名 田尻飛塚城
城郭構造 山城
築城年 明応年間以前
主な城主 田尻氏立花織部
廃城年 慶長6年(1601年
遺構 堀、土塁
位置 座標: 緯度が指定されていません
{{#coordinates:}}: 緯度 (lat) の値が無効です
テンプレートを表示

田尻城(たじりじょう)は福岡県みやま市に存在した山城

概要

飯江川が形成した平野の南側丘陵の先端に位置する。本丸の他、二の丸や三の丸といった曲輪が設けられ、西側は急崖となっていた。

明応8年(1499年)に田尻氏大友政親から山門郡三池郡に300町を宛行われており、この時期までに当城は存在していたと考えられている。天文17年(1548年)に田尻親種鷹尾城を築いて移ると、一族の田尻左京が城代となった。天正15年(1587年)の九州国分で当城は立花宗茂に領有され、立花織部が城代となっている。慶長6年(1601年)に田中吉政が筑後に転封されると廃城となった。

参考文献

関連項目