田尻城
田尻城 (福岡県) | |
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別名 | 田尻飛塚城 |
城郭構造 | 山城 |
築城年 | 明応年間以前 |
主な城主 | 田尻氏、立花織部 |
廃城年 | 慶長6年(1601年) |
遺構 | 堀、土塁 |
位置 |
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概要
飯江川が形成した平野の南側丘陵の先端に位置する。本丸の他、二の丸や三の丸といった曲輪が設けられ、西側は急崖となっていた。
明応8年(1499年)に田尻氏は大友政親から山門郡と三池郡に300町を宛行われており、この時期までに当城は存在していたと考えられている。天文17年(1548年)に田尻親種が鷹尾城を築いて移ると、一族の田尻左京が城代となった。天正15年(1587年)の九州国分で当城は立花宗茂に領有され、立花織部が城代となっている。慶長6年(1601年)に田中吉政が筑後に転封されると廃城となった。
参考文献
- 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典(40.福岡県)』、角川書店、1988年
- 日本歴史地名大系 (オンライン版)