第3軍(だいさんぐん)は大日本帝国陸軍における軍の一つ。
第3軍は日露戦争に当って1904年(明治37年)5月に編制されたものと、日中戦争期の1938年(昭和13年)1月に編制されたものとに分かれる。前者は乃木希典大将が指揮した部隊で、満州軍に所属し日露戦争の終結とともに解隊された。後者は関東軍隷下で太平洋戦争後解隊された。
日露戦争における第3軍
日露戦争において1904年(明治37年)5月1日に編成され、戦後の1906年(明治39年)1月26日に解散した。
- 津野田是重
- 安原啓太郎
- 菅野尚一
最終の所属部隊
軍概要
歴代司令官
- 山田乙三 中将:1938年1月8日 -
- 多田駿 中将:1938年12月10日 -
- 尾高亀蔵 中将:1938年9月12日 -
- 河辺正三 中将:1939年3月1日 -
- 内山英太郎 中将:1942年8月17日 -
- 根本博 中将:1944年2月7日 -
- 村上啓作 中将:1944年11月22日 -
歴代参謀長
最終司令部構成
- 司令官:村上啓作中将
- 参謀長:池谷半二郎少将
- 高級参謀:細川直知中佐
- 高級副官:広瀬三郎中佐
- 兵器部長:南義人少将
- 経理部長:矢野誠一主計少将
- 軍医部長:新田太郎軍医少将
- 獣医部長:杉浦陳重獣医中佐
所属部隊
昭和18年当時
- 第9師団
- 第12師団
- 第1国境守備隊
- 第1国境守備隊第1地区隊
- 第1国境守備隊第1地区隊歩兵隊
- 第1国境守備隊第1地区隊砲兵隊
- 第1国境守備隊第2地区隊
- 第1国境守備隊第2地区隊歩兵隊
- 第1国境守備隊第2地区隊砲兵隊
- 第1国境守備隊第3地区隊
- 第1国境守備隊第3地区隊歩兵隊
- 第1国境守備隊第3地区隊砲兵隊
- 第1国境守備隊第4地区隊
- 第1国境守備隊第4地区隊歩兵隊
- 第1国境守備隊第4地区隊砲兵隊
- 第7砲兵司令部
- 砲兵情報第2連隊
- 独立山砲兵第4連隊
- 野戦重砲兵第4連隊
- 野戦重砲兵第9連隊
- 野戦重砲兵第22連隊
- 重砲兵第2連隊
- 重砲兵第3連隊
- 東寧重砲兵連隊
- 独立重砲兵第1大隊
- 独立重砲兵第2大隊
- 独立重砲兵第4大隊
- 独立重砲兵第6大隊
- 独立重砲兵第7大隊
- 独立臼砲第11大隊
- 独立臼砲第12大隊
- 独立臼砲第13大隊
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終戦時
- 砲兵部隊
- 重砲兵第2連隊(阿城):井上敏助大佐
- 重砲兵第3連隊(阿城):平岡正夫中佐
- 東寧重砲兵連隊:渡辺馨大佐
- 独立重砲兵第2中隊
- 独立重迫撃砲第1中隊
- 陸軍病院
- 関東第22(暉春):福山正明軍医大佐
- 関東第23(東寧):鈴木清軍医大佐
- 関東第28(延吉):明渡侃治軍医大佐
- 関東第30(老黒山):路次徳一軍医大佐
- 関東第64(敦化):増沢武男軍医中佐
- 関東第65(東寧)
- 関東第67(東寧):林政美軍医少佐
- 特設警備部隊
- 特設警備第460大隊
- 特設警備第623中隊
- 特設警備第651中隊
- 兵站部隊
- 電信第55連隊
- 独立自動車第113大隊
- 独立輜重兵第52大隊:佐久間鉄次郎少佐
- 第13兵站衛生隊
- 第9患者輸送隊
- 第97兵站病院
- 補給廠
- 第15軍馬防疫廠:早坂正雄獣医中佐
- 第15野戦兵器廠
- 第16野戦自動車廠
- 第16野戦貨物廠:中原英吾主計中佐
- 第20野戦兵器廠
- 第20野戦自動車廠:宮田留一少佐
- 第20野戦貨物廠:清水恂主計中佐
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