ジョン・オルルド

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ジョン・オルルドJohn Garrett Olerudジョン・ギャレット・オルルド 1968年8月5日 - )はアメリカメジャーリーグの元内野手一塁手)。 典型的なアベレージヒッターであり、強烈なライナーを広角に打ち分ける事のできるバッターであった。選球眼にも優れており、年間で大体90から100もの四球を選択していた。足はメジャー全体でも遅い部類に入ったものの、その欠点を補うべく頭脳的な走塁で自らの弱点をカバーしていた。一塁手としては堅実な選手であり、足は遅くても他の選手に引けを取らない守備範囲の広さと強めの肩で3度のゴールドグラブ賞を受賞した。

経歴

  • オルルドはワシントン州立大学投手としての活躍が認められ、トロント・ブルージェイズにドラフト指名された。大学在学中にはの大手術を経験し、その古傷を守るためにオルルドはプロを引退するまで打席に入る時だけではなく守備に就く際にもヘルメットを着用してプレーした。しかし彼の頭の中には頭蓋骨よりも強力な金属板が埋め込まれており、ボールの直撃により彼の脳が影響される事はほとんどないはずであった。彼が現役引退までヘルメット着用にこだわった理由はそれが亡き母の頼みであったからだとされている。また、通常の帽子をかぶる機会がほとんどないため、ベースボールカードや選手名鑑などではヘルメット姿で掲載されている。
  • 1989年にブルージェイズでメジャーデビューを達成。マイナーリーグを経験しない異例の昇格となった。最初の数年間はシト・ガストン監督の方針でベンチを暖める日々が続いたが、1993年に大ブレイク。その年にアメリカンリーグ首位打者(.363)を筆頭に1957年のテッド・ウィリアムズに並びアメリカンリーグ歴代1位タイのリーグ最多敬遠(33)、出塁率(.473)、OPS(1.072)、二塁打(54)を記録し、また本塁打数(24)、打点(107)、得点(109)、安打数(200)でキャリアハイをマークした。
  • 2回オールスターに選ばれたオルルドは、同じく2回のワールドシリーズ制覇をブルージェイズで達成。カルロス・デルガドら若手の台頭に伴い、1996年12月にニューヨーク・メッツにトレードされる。
  • メッツでは1998年に打率と出塁率でチームの年間記録を更新。その翌年には四球と出塁数でもチーム年間記録を更新した。
  • 2000年にはオルルドは実家に近いシアトル・マリナーズに移籍。2001年のマリナーズの記録的な快進撃に大きく貢献し、チームも116勝40敗という歴史的な記録を残した。その後もオルルドは活躍を続けたが、チームの若返り政策の下2004年シーズン途中にはマリナーズを放出されてしまう。その後負傷したジェイソン・ジアンビの代わりとなる一塁手を探していたニューヨーク・ヤンキースと契約。
  • 2005年5月1日にはボストン・レッドソックスとマイナー契約を結び、同年5月23日、1989年のメジャーデビュー以来初めてマイナーリーグの3Aのポータケット・レッドソックスの一員として出場した。オルルドが初めてマイナーで打った安打は本塁打であった。チームが契約の際に課した3試合のマイナー調整を10打数3安打の.300で終える。前年11月に行った左足靭帯断裂の手術から回復しつつあったオルルドは、5月27日にメジャー昇格を果たす。ケビン・ミラーと一塁手の座を争い、主に中軸を任された。12月6日に現役引退を発表。2239本の通算安打数は引退時点でメジャー通算第143位となる。 

獲得タイトル・記録

逸話

  • オルルドは一塁守備中でもヘルメットを就けてプレーしていた事で知られている。2000年、シアトルに在籍していた時にいつもと同じようにヘルメット着用で守備練習をしていたら、リッキー・ヘンダーソンがオルルドに対し「昔トロントにお前と同じ事をしていたチームメイトがそういえばいたよ」と言い、オルルドは「それは俺さ」と返した、とされる小話が残っている。この両選手はその前年にもメッツでチームメイトだったのだが、オルルド本人はこの話があった事を否定。
  • 従兄弟に元メジャーリーグ内野手で現在ミルウォーキー・ブリューワーズ3塁コーチを務めるデール・シブームがいる。

年度別打撃成績
































O
P
S
1989 TOR 6 8 2 3 0 0 0 0 0 0 0 1 .375 .375 .375 3 0 0 0 0 0 0.750
1990 TOR 111 358 43 95 15 1 14 48 0 2 57 75 .265 .364 .430 154 1 4 6 1 5 0.794
1991 TOR 139 454 64 116 30 1 17 68 0 2 68 84 .256 .353 .438 199 3 10 9 6 12 0.791
1992 TOR 138 458 68 130 28 0 16 66 1 0 70 61 .284 .375 .450 206 1 7 11 1 15 0.825
1993 TOR 158 551 109 200 54 2 24 107 0 2 114 65 .363 .473 .599 330 0 7 33 7 12 1.072
1994 TOR 108 384 47 114 29 2 12 67 1 2 61 53 .297 .393 .477 183 0 5 12 3 11 0.870
1995 TOR 135 492 72 143 32 0 8 54 0 0 84 54 .291 .398 .404 199 0 1 10 4 17 0.802
1996 TOR 125 398 59 109 25 0 18 61 1 0 60 37 .274 .382 .472 188 0 1 6 10 10 0.854
1997 NYM 154 524 90 154 34 1 22 102 0 0 85 67 .294 .400 .489 256 0 8 5 13 19 0.889
1998 NYM 160 557 91 197 36 4 22 93 2 2 96 74 .354 .447 .551 307 1 7 11 4 15 0.998
1999 NYM 162 581 107 173 39 0 19 96 3 0 125 66 .298 .427 .463 269 0 6 5 11 22 0.890
2000 SEA 159 565 84 161 45 0 14 103 0 2 102 96 .285 .392 .439 248 2 10 11 4 17 0.831
2001 SEA 159 572 91 173 32 1 21 95 3 1 94 70 .302 .401 .472 270 1 7 19 5 21 0.873
2002 SEA 154 553 85 166 39 0 22 102 0 0 98 66 .300 .403 .490 271 0 12 6 5 19 0.893
2003 SEA 152 539 64 145 35 0 10 83 0 1 84 67 .269 .372 .390 210 2 3 7 6 20 0.762
2004 ※1 127 425 45 110 20 1 9 48 0 0 61 61 .259 .359 .374 159 1 5 4 8 11 0.733
2005 BOS 87 173 18 50 7 0 7 37 0 0 16 20 .289 .344 .451 78 0 3 2 0 6 0.795
通算 17年 2234 7592 1139 2239 500 13 255 1230 11 14 1275 1016 .295 .398 .465 3530 12 96 157 88 232 0.863
  • 太字はリーグ1位。
  • ※1=シアトル・マリナーズ→ニューヨーク・ヤンキース

外部リンク

先代
エドガー・マルティネス
ア・リーグ首位打者
1993年
次代
ポール・オニール