阿若・憍陳如

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阿若憍陳如(あにゃ・きょうちんにょ、梵語:Ajnata-Kaundinya、アニャ・カウンデンニャ、コンダンニャ、音写:阿若多・憍陳那、阿若・拘隣などとも音写。訳:阿若は了本際、已知(もしくは反対に無知とも、憍陳如は火器など)は、釈迦仏の弟子の一人である。単に憍陳如とも記される場合も多い。釈迦の最初の弟子。

釈迦が成道して最初に教えを説いた五比丘の一人であり、またそのリーダー的人物。

カピラ城のバラモンに生まれ、事火外道だったといわれる。カウンデンニャは占いに通じて、ゴータマ・シッダルタが生れる時、その実父であるスッドーダナに招かれ占った中の一人ともいわれ、太子が必ずブッダとなると予言したともいう(異論もある)。

のちに太子が出家し尼連禅河(ナイランジャナー)の畔の山中で苦行する際、浄飯王の要請で仲間四人と共に随行した。しかるに釈迦は12年にも及ぶ苦行をしたが、これは真の悟りを得ないと了知し、苦行林を出て河畔の地主・村長の娘・スジャータから乳がゆの供養を食した。カウンデンニャたちはそれを見て太子は苦行に耐えられず修行をやめたと思い込み、波羅奈国(パラナシー)の鹿野苑に去ってしまった。

しかし太子はすぐに菩提樹の下で瞑想に入り悟ってブッダとなるや、鹿野苑に赴いてカウンデンニャたち5人の修行者にはじめて法を説いた。これを初転法輪という。この時に、彼は5人の中で仏の教えを一番よく理解ので、より阿若(アニャ=よく了解した!)と称賛されたので、この名がついた。

のちに舎利弗と目連が仏教教団に帰依してからは、二人が先輩である彼に気を使うので申し訳なく思ってか、仏の許しを得てチャッダンタの林にあるマンダーキニー湖畔に移り隠棲し、そこで12年間を過ごしたという。しかし自分の命があと少しだと知ると仏のみもとに戻り別れを告げて再び湖畔へ戻り、間もなく寂したといわれる。林の中で彼に食物を運んだり身辺の世話をしていた多くの象やヒマラヤの山々が彼の死を悲しんで泣いたと伝えられる。


関連項目